
「やっと、終わったのね……」みみは大きく息を吐きました。
背中には、15ヶ月もの間、彼女を縛り付けていた「巨大な情報の渦」という名の重いリュックが食い込んでいます。絶え間なく鳴り響く通知音、複雑すぎるマニュアル、そして「もっと速く」と急かす誰かの声。その荒波を泳ぎきり、彼女は今、ようやく真っ白な砂浜に足をついたのです。

「やれやれ、ひどい顔だぜ。まるで100年くらい眠っていないみたいだ」
不意に声をかけてきたのは、岩陰で器用に昼寝をしていたシャーでした。彼は細い目をさらに細めて笑うと、みみの足元に転がっている古びた「システム」の鍵を指差しました。
「それ、もういらないんだろ? 捨てるなら今だぜ」

みみは、自分の体を覆っていた重苦しい金属の鎧を脱ぎ捨てました。それはかつて、彼女を情報の荒波から守ってくれるはずだった「古い自分」という名のシステムでした。
パチン、と留め金が外れるたびに、体がふわっと軽くなります。最後に重いリュックを砂の上に置くと、彼女の魂は「9」の数字が示すような、大きな解放のエネルギーに包まれました。

「さあ、行こうか。君の新しい居場所へ」シャーに促され、みみは丘を登りました。そこには、どこか懐かしい、木造のアパートや平屋が並ぶ「平和と理想の地」が広がっていました。
夕焼けに染まる町並みは、あの『めぞん一刻』の時計坂のように、ゆっくりとした時間が流れています。空気は甘く、どこからかお味噌汁の匂いが漂ってきました。

新しい部屋に入ったみみは、そわそわして落ち着きません。
「ねえ、シャー。ここにはWi-Fiのパスワードは? 次のタスクはどこに書いてあるの?」
彼女は壁をキョロキョロと見渡します。長すぎる戦いのせいで、彼女の脳は「何もしないこと」を忘れてしまっていたのです。

シャーは呆れたように肩をすくめました。
「落ち着けよ。ここには『やらなきゃいけないこと』なんて一つもない。あるのは、君が『やりたいこと』だけだ。まずはその、ガチガチに固まった頭をほぐすことだな」
彼は持っていた古いヤカンを火にかけ、シュンシュンと鳴る音を楽しみ始めました。

みみは、窓際の縁側に腰を下ろしました。木の肌触りがひんやりとして心地よく、足の裏から大地のエネルギーが伝わってくるようです。これが「4」のエネルギー。どっしりと根を張り、自分だけの安心できる土台を作る力です。彼女は大きく伸びをして、15ヶ月間、一度も深く吸い込めていなかった空気を、胸いっぱいに吸い込みました。

「はい、お茶だ。リハビリの第一歩だな」シャーが差し出したのは、湯気の立つお茶が入った厚手の湯呑みでした。みみはそれを受け取り、手のひらに伝わる温かさをじっと味わいました。複雑なデータも、誰かの評価も、ここには届きません。ただ、お茶が温かい。それだけで、世界は十分に完成されていたのです。

「私、やっと自分を許してあげられそう」みみはポツリとつぶやきました。完璧であろうとした日々も、情報の渦に飲み込まれそうになった夜も、すべてはこの静かな午後にたどり着くためのプロセスだったのです。
彼女の瞳からは、一粒の涙がこぼれました。それは悲しみではなく、魂が本来の場所に戻った喜びの雫でした。

太陽がゆっくりと沈み、町に一番星が輝き始めました。みみの新しい生活が、ここから始まります。もう、自分を追い立てる必要はありません。
「さあ、みみさん。最初のリハビリ・アクションだよ。今日はお茶を飲む前に、その香りを3回、深く嗅いでごらん。それが、君が平和を取り戻した証拠になるから」
