始まりは……2006年のことでした。
当時、私は空手の指導員をしながらパーソナルトレーナーをしていました。いつも23時に仕事が終わり、帰宅すると25時を過ぎるというハードスケジュールな日々を過ごしていました。
体を動かすことは基本的に好きだったので、そこそこ楽しく仕事していたそんなある日、仕事の帰り道でマゼンダ色に輝く光の塊がトウモロコシ畑の間からブワッと出てきたのです。
何でトウモロコシ畑だって?
この当時、住んでいたのは西所沢の駅から離れたところ。周囲は畑に囲まれていたからです(笑)。
突然現れた光というのは、太陽の光をずっと見ていると、ブァっと紫のモヤモヤが目の中に写り込こむ、アレ。光の残像のような感じのアレが大きくなったようなマゼンダ色の発光体が真夜中の農道に現れたのです。
時間的にはものの2、3秒。
そして、その発光体は人型になり、私の中に「バンッ!」と入ってきました。この時、前から人型の発光体がものすごい勢いで入ったのに、なぜか後ろから大きく背中を叩かれるような衝撃があったことを今でも覚えています。
つい最近、ブラックホールが撮影されて、その構造が徐々に解明されてきているが、感覚的にそれに近いモノがあるかも…。
私は子どもの頃から交通事故で死にかけたり、それがきっかけで成績が良くなったり、と何かと不思議な体験が多かったから、後にも先にもこれ以上の「ふっしぎぃ~」な経験はないと思います。
話を当時に戻しましょう。
この頃は毎日咳が止まらず、喘息のような症状に悩まされていましたが、その発光体事件から徐々に咳が止まっていきました。それ以外では大して良いコトもなく、むしろ生活状況は悪くなる一方でした…。
短期大学卒業後に地元の市役所に就職して、都市計画課に三年間勤務したにもかかわらず、あっけなく退職。その後は上京して、スポーツジムでエアロビインストラクターとなり、独立しました。今思うと、このトレーナーの期間の出来事がその後の人生に向かう、最終的に自分の魂が約束してきた方へ歩みはじめるきっかけだったのかもしれません。
徐々にトレーナーの仕事が目減りし、もう自分の力ではどうにもならなくなった2008年。この当時お世話になっていた空手の先生から共同の仕事を持ちかけられ、二つ返事でその仕事を始めました。
だがしかし!
その仕事は大失敗して、なんと!一文無しになってしまうのです。
とほほ…
無一文からの脱却
ちなみに空手の先生から持ち掛けられた共同の仕事とは、道場を改築してトレーニングジムを開設し、そのジムを任せてもらうというもの。
でも、実はその3年くらい前に恥ずかしながら好きだった男性に300万円ほど貢いでしまい、その借金を返済した直後で財布はすっからかん。ある意味、ゼロからのスタートを切るべく、道場に住み込みで仕事を始めることになりました。
そして、ここから取り返しのつかない転落人生になるのでありました…。
道場の板の間に寝袋を置き、キッチンはないので食事は道場の目の前にあった100円ショップで調達。道場の経営は一向に軌道に乗らず、短期間で道場を使ってくれる1~2人の顧客がいるだけでした。そうなると、道場の冷暖房費も節約しなければならず、道場で指導する時間以外は、パチンコ屋かゲームセンター、アルバイトで雇ってもらった池袋の占いハウスに身を置くようになりました。
もうほとんど、ホームレスの生活です(笑)。
この時、占いハウスに身を置くことになったきっかけは生まれながらに持っていたサイキック能力と、道場で住み込みする前に鴨書店店主、故・望月治氏(昭和~平成にかけて陰陽研究学のパイオニア)に出会い、弟子になったことでした。
とはいえ、先生が他界して勉強が中途半端だったことと、当時の日本の占いやスピリチュアルブームの感覚、自分の家系が理系だったことで身につけてきた知識、占い業界は成果が目に見えないことを口実に根も葉もない噂を作り出す元凶だと思っていました。(これは今でもそうだと思っているのですが…)
適当に未来の本質なんて誰も気にも留めず、ただのキワモノの験担ぎぐらいでバカにされた商売だと感じていて、占いなんて調子いいところだけ信じるとか、キラキラ系のスピリチュアルリストに群がる輩に相当嫌気がさし、めちゃくちゃストレスを抱えていたのです。
でも、ほぼホームレスの私には冷暖房もあるし、適当に話すだけで金になるので、「まあいいか!適当で!」くらいの気持ちで占いをしていました。
最初に占いを始めた動機は、とても不純だったのです……。
そして、ここで感じていたことがのちに奇跡が起こすことになるのです。今も、未来分析&未来創造の本質はこれが基本だなと思っています。
で、そんな生活を送っていた時、私の脳裏には
「しゃびんぐしゃびんぐトゥルルルルー♪
しゃびんぐしゃびんぐトゥルルルルー♪」
という謎の可愛い声が響いていたのです。
占いハウスで「占いなんて…」と嫌気がさしているのにも関わらず、頭の中に響く奇妙な声に当初は「自分はとうとう気が狂ってしまったんだ」と思うしかありませんでした。
2012年に本格的にシャーと出会うまでは…。
頭の中の声のことは誰にも言わず、自分の中の重要秘密事項として過ごしていました。だって、一文無しの上に気が狂っていたら、誰からも相手にされなくなること間違いないでしょ(笑)!
きっと先輩ホームレスさんたちだってお友達にはなってくれないはずです。
道場住み込みという名のほぼホームレス生活は実質2年間続きました。
時折、気にかけてくれていた空手の生徒や古くからの知人がトレーニングレッスンを頼んでくれたり、占いも知人からの紹介だけ出張鑑定を行ったり。占いハウスで適当に話をして、日銭を稼ぐという生活をしていると、同じような感覚を持つ同志たちが集まり、徐々に生活は好転していきました。
そこで感じたのは「本当の未来は良いことばかりじゃないけど、巡り巡ってプラスにしていくエネルギーが大事だ」ということ。そのプラスに変えるエネルギーと時空のねじれやその人の生きる力のコラボで、運命が出来あがっていくんだ、と徐々に掴めてきたな…という頃に父が他界しました。
この父の他界をきっかけに、2009年、私は道場から抜け出すことができたのです。
震災の予言
小さいけれど台所も風呂もあり、洗濯機も置ける部屋。一日中、自分の場所で自分の時間を獲得することができました。父の死をチャンスにするとは、余所から見たら引かれるかもしれないけど、背に腹は代えられない。ここで変えないと!という状況だったのです。
道場の仕事で数百万円の借金は残りました。でも、道場から引っ越すときには友人や空手の生徒さんたちが家具をくれたり、車を出してくれたり、手伝いもたくさん来て、本当に今でも感謝しています。
さらに引越しと同時にそれまで離れていった友人やクライアントが戻ってきたのです。
占いハウスでは、私の占いやスピリチュアル感に対して面白がってくれる人と、クレームをつける人に客が分裂。しかし、これから始まる大きな人生の転機を予感させるこの期間の出来事は、本当に有意義で、今でも鮮明に覚えています。
次の転機は2011年2月11日から始まりました。
ある公共施設でクライアントさんのトレーニングをした帰りに耳元で
「今年は60年にいっぺんの不況があるから、身の回り整理しましょう」
という声が聞こえてきました。これはみんなに知らせなきゃ!と私の能力を知る方々全員に意味も分からず、一斉メールをしました。
その一か月後に震災です。
私はこの日、自宅で大掃除をしていました。掃除が終わり、綺麗になった部屋で一息つこうとしたら、オンボロアパートがプリンのように揺れたのです!
飼っていたウサギと一緒に外に出て、これ以上の揺れが来たら家が潰れて、ウサギもここで放すしかないのかな…と考えていたら地震が止まり、その30分後くらいからテレビに各地の悲惨な状況が映し出されたのです。
ひと月前に耳元で聞こえた声はこのことを教えてくれたんだと、すぐに分かりました。これによりトレーナーの仕事はできなくなり、なぜかそこから占いやサイキックの仕事が増えていていきました。
さらにその年の秋には知人らが
「雪下さんはもっとサイキックと陰陽学を極めて日本に広めた方がいい!」
と応援してくださり、独立を決意。カンパとして150万円集まり、それを元手に以前から親交があったカナダ在住のホリスティックヒーラー Kumikoさんの元へ行きました。
量子物理学と天文学、陰陽学にサイキックなど、見えない接点を体感しつつ、未来創造ができたら良いなぁと思い、約一週間という短期間で、Kumikoさんの元で学ぶと決め、濃密な魂の蘇生を体感しました。
これにより、私の存在自体の出す波動は全て変容したのだと思います。身の回りが何か見えない波動で融合されていく、そんな状態でした。最先端の量子物理学の分野やサイキックヒーリングの技術、はたまた引き寄せの法則、ロンダ・バーンの「ザ・シークレット」や「ザ・パワー」などの話、波動による宇宙とのバイブレーションがいかに私たちの自己実現を引き寄せているのかなど、身のある講義を受け、実際にオーラを見たり、プラーナ(氣)を宇宙から受け取り体外へ放出するワークなどをしたり、多くのことを経験することができました。
ここで習得したことに、今まで自分が経験したもの、陰陽学の研究上記録しておいたものなどを徐々に結びつけていきながら、今の私の基礎ができ上がりました。
そして、あの日が来るのです。
「I am Sha-being!(アイアム シャービイング!)」
これは私が二人三脚している宇宙存在シャーから受け取った最初の言葉です。忘れもしない、2012年のカナダ修行からの帰国の飛行機で突然聞こえてきたのです。
たくさんの気づきを得て、日本に帰る飛行機の中でこの声を聞いた私は、反射的に号泣してしまいました。隣の座席に座っていたインド系の男性も驚いて声をかけてくるほどにです(笑)。
私にとってこの言葉は
「お前はもう死んでいる!」の逆で
「お前は既に活きている!」と言われたような感覚。
ここから私はゾンビのように蘇り、命を手に入れ、ハイエナのように這い上がり宇宙存在シャーとともに爆進していくこととなるのです。
私を知っている方のほとんどはシャーのこと知っていると思うのですが、改めて、ここでシャーの事をご紹介しようと思います。
まず、シャーは惑星ゼロから来ました。
惑星ゼロとは、すごく遠くて銀河系には存在しないというか、地球人の可視光線内では見えない波動だけの存在なのだそうです。時空変換装置でワープしないとたどり着けない場所から来た宇宙生命体です。
まあ平たく言えば宇宙人です。(人ではないけど…)
姿かたちはこんな感じ
正直言ってバリすっとんきょうで、斬新な感覚の持ち主!
だったんですね!!
シャーが伝えてくることは、当時テレビやメディアで流行っていたスピリチュアルの見方とは全く違う切り口だけど、とても腑落ちて、尚且つオモロイというコトばかり。
当初は英語と日本語の組み合わせでコミュニケーションしていました。
なぜ言語がごちゃ混ぜだったのか、シャーに尋ねると
「ふぅ~。
それは、きみはとってもおっちょこちょいで
日本語だけのコミュニケーションだと
全ての既成概念と深い思い込みから
堂々巡りをするだろうから、
僕との会話は半分英語を使おう!ってなった。
ホントはラテン語かヘブライがいいんだけど
どうも語彙変換は不可能な様なので
きみのレベルにあった英語で会話してみよう!ってね」
ということで、2012~15年ぐらいまでは、シャーとは英語でコミュニケーションを取っていました。
シャーのいうコトを一度和訳するから、聞く耳を持たない一方的な性格の私にはちょうどいい具合にアレンジされ、良い解釈にもっていくことができたようです。
それから2018年の某日。
ミラクルな仲間との波動合流(シャーが言うには「地球では仕事する」という感じ)で、廣済堂出版からお声がかかり、2019年5月に「宇宙で大人気の君へ」をシャー&雪下で出版することができました。
出版前はまだシャーのセッションも3名程度しか受けていない頃で、誰にも知られていない時期でした。アメーバブログのフォロワーも12人程度、YouTubeも10人くらいしかフォロワーがしかいないのに出版できるという奇跡のスタートでした。
そして今現在、陰陽学研究の傍ら、シャーに体を貸す日々です。
同じ肉体を使っている兄弟みたいな感じ、家族が増えたようで楽しい日々を過ごしています。